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Sky's the limit #01/元 トヨタ自動車副社長が語る”プリウス誕生”

日本のものづくりを支えてきた様々な技術者の挑戦をひも解いていく「Sky's the limit」。第1回は、トヨタ自動車 副社長としてプリウスの開発の陣頭指揮を執られ、三菱重工業株式会社 社外取締役(2012年退任)、アイシン精機株式会社 取締役会長、相談役、顧問・技監(2018年退任)等を歴任されてこられた和田明広氏による、ものづくりへの挑戦をご紹介します。
※本記事の内容は、2011年9月にSky株式会社で実施された特別講演会の内容を再編集したものです。

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現在がどうあれ、自分の努力で将来を切り開く


トヨタ自動車入社のいきさつ

過分な紹介をいただき、大変恐れ入ります。年を取り、ファイトもなくなってきましたので、皆さんにどのようなことを申し上げればご参考になるのか、自信もないのですが、二、三申し上げたいと思います。

先に私の経歴をご紹介いただきましたが、私からも簡単に申し上げたいと思います。私は昭和31年に大学を卒業したわけですが、そのころは不況で就職先がない状況で、1年先輩にあたる昭和30年に卒業された方は、大変就職に苦労されていました。ですから、私も苦労するのではないかと思っていて、在学中から「どこに行こうか」「ここに行こうか」と、さかんに迷っておりました。

とりあえず、いまでいう公務員の上級試験を受け、運輸省(現国土交通省)から合格をいただきました。周囲からは「お前、運輸省になんかに行ってもダメだ」当時の通商産業省(現経済産業省)ですね、「通産省に行かなきゃダメだろう」と言われました。

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私は、もともと役人になるつもりで試験を受けたわけではありませんでしたが、「どうしようもなければ、行かざるを得ないな」「浪人するよりはいいだろう」と考え、就職活動をやっていたわけです。しかし、実際にふたを開けてみると大変調子が良く、好況のなかで就職活動が展開されました。私も、2つばかり会社を受けましたが、その両方から合格をいただくことができたので、先生に「先に合格をいただいた会社に行きます」と言いましたら、先生は「お前はトヨタ自動車に行け」と言うじゃないですか。私は、よくわかっておりませんから「あ、そうですか」と答えた後、「でも、先に内定をいただいた会社を断ると、今後うちの学校から採用してくれないかもしれない。大丈夫ですか?」と訊ねました。先生は「お前は、大学院に行くと言って断ればいいんだ」と仰いました。

このように私は、学校を卒業する前から“チョンボ”をやっており、それ以来、本当にたくさんの“チョンボ”をやってきたわけです。


当時のトヨタ自動車と入社後の配属

私はこうしてトヨタ自動車に入社しました。トヨタ自動車に入社すると、周囲からは「よく、あんなひどい会社に入りましたね」と言われました。当時はそういう会社だったんですね。

何を申し上げたいかと言いますと、私の大学時代はそんな状況でしたし、よく考えていたら、おそらくトヨタ自動車には入らなかったと思うのです。しかし、人の将来というのはわからないもので、この年になっていまだに仕事をやっているのは、私とオーナーとして仕事をしている2人くらいです。ほとんどの人がリタイアしており、なかには熱海あたりに終の棲家を持っている者もいる。そのような状況でも、私は、幸か不幸かいまだに働かされているというか、仕事をしているわけです。いずれにしましても、将来というのはわからないもので、運命で決まってくるのではないかなという気がします。

もう一つ申し上げますと、私は、大学で熱力学をやっていたものですから、入社したときは、エンジン開発をやりたいと思っており、内心では配属先をエンジン開発部門と決めていました。しかし、上司から「どのような卒業研究をやっていたのか」と訊ねられ、「私は熱力学です」と答えました。すると「お前、熱力学ってどんなことをやるんだ?」と言うんですよね。説明しても、すぐにはわからないような卒業研究だったものですから、「どちらかと言えば、空気力学みたなものですよ」と話したら、「そうか、そうしたらお前は、車体へいけ」というわけです。

このときも、図らずもというか、私の希望とはまったく無関係な車体部門に配属されました。これも後から考えてみますと、大変幸運だったと思います。と言いますのも、車体には、エンジンも載せますし、シャシーも取り付けます。もちろん電機部品も付けますから、幅広く車全体のことがよくわかる部署だったわけです。幸いなことに、当時トヨタの場合は、シャシー・フレームまで、ボディ設計の担当がやっておりましたので、車の ことが大変よく勉強できたという面で、幸いだったと思うわけです。

いずれにしましても、いま後になって振り返ると、ハッピーな会社に入社できて、良い部署に配属されたと思っています。

皆さんに申し上げたいのは、今日現在どういう仕事をやろうが、どういうところで働いていようが、それが将来どうなるかは本当にわからない。やっぱり自分の努力で将来を切り開いていくしかないんだと、そういう感じがします。最初にそんなことを申し上げたいと思います。

短期的に判断したのでは、良い商品はできない


マーケットの意見について

先ほどご紹介いただいた中にもありましたが、プリウスの開発についてお話したいと思います。私が、このような機会をいただくと、プリウスの話をしてほしいという話になります。あるいは、セリカやカリーナの話になるわけですが。

本日申し上げたいのは、商品を開発するにあたり、車のように長い期間使用され、しかも設計してから量産に移るまでに、長く時間がかかるような商品は、マーケットの意見を聞いたのではわからないということです。

例えば、品質保証の先生方は、最初に「お前ら、マーケットに行って聞いてこないからダメなんだ。すぐマーケットに行って聞いてこい」と指導されます。しかし、マーケット、例えば自動車の販売店に行って「これからどういう自動車を作ったらいいですか」と聞きに行っても、まともな返事は絶対に返ってきません。

これから車を作ろうと考えて、世の中に出す努力をしても、早くても3年はかかります。3年かけて世に出した車を、いつまで売らなければいけないか。最低でも5年は売らなければなりません。そうすると、その車はいまから7年も8年も先まで競争力がなければ意味がないわけです。

いまから7年も8年も先のことを、いま車を売っている人たちにわかるのかといったら、絶対わからないわけですよ。今日現在、車を売っている人のところへ「どんな車を作りましょうか」と問えば、「いま、一番売れている車と同じ車を早く作ってくれ」という答えしか返ってこないわけです。もちろん商品によります。1ヶ月や2ヶ月で、あっという間にできるような商品であれば、マーケットへ行って聞いた方が良いかもしれませんが、車のように開発に足の長いものは、そういうわけにはいかないのです。

ちょっと余談になりますが、最近、原子力発電所のことで多くの問題が提起されています。こうした話には、思慮が浅い話が多くあると感じています。どこかの方が「原子力は全然ダメだ」と言っているのを聞く。でも今回、壊れてしまった原子力は、何年前に設計して何年前に作ったものなのか。皆さん、ご存じだと思いますが、ウェスティングハウス・エレクトリックが少なくともいまから50年以上前に設計をしたもので、日本 に設置したのは40年も前の話です。

自動車で考えるなら、40年も前の自動車はどんな自動車でしょうか。たぶん、10年も走れない。それどころか、4年、5年も経つとドアに穴が空いてしまうような、そういう自動車だったわけです。現在の自動車とはまったく違う物だということです。

私は、原子力発電が「絶対」だと思うわけではありませんが、「頑張れ」とは言いたいんです。60年前に設計したものと、これから設計するものでは、どれくらい進歩しているのか。さらに、これから作ろうとするものは、どれくらい安全性が高まっているのかなど、本来は、そのことがしっかりスタディされて、将来の方向性を決めていくべきです。いま、世の中にはそのような議論がまったくないんですよね。短期的なことばかりに焦点を当てて、物事を判断してしまっていると思います。

ここにJR東海が発行している「WEDGE」という本を持ってきました。この本には、原子力について詳細に書いてあったので、私は感心して読んでいました。決して、これからの本命が原子力だと言うつもりはありませんけれども、物事を幅広く考えてほしいと思います。どんなものでも短期的に物事を判断したのでは、良い商品はできないと思ってください。

第2回/短期的に判断したのでは、良い商品はできない(続き)

 

Sky株式会社 特別顧問:和田 明広

1934年、名古屋市生まれ。1956年に名古屋大学工学部を卒業後、トヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自動車株式会社)に入社。トヨタ自動車では、車体設計出身のチーフエンジニアとして、コロナ、セリカなどの開発に従事。1986年には取締役に、1994年には副社長に就任。トヨタ自動車の副社長の時代には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発指揮も執る。その後、三菱重工業株式会社 社外取締役(2012年退任)、アイシン精機株式会社 取締役会長、相談役、顧問・技監(2018年退任)等を歴任。