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海外のやり方が通じない─厚切りジェイソンが苦労した「日米の企業文化・エンジニアリング文化の違い」

「Why Japanese people!?」でおなじみの厚切りジェイソン氏。芸人でありながら、日本のIT企業の役員として数多くの講演をこなし、エンジェル投資家として日本のクラウドベンチャーへの投資なども行っている。アメリカにおけるテクノロジーとの出会いから、日本語を勉強した理由、日米の企業文化・エンジニアリング文化の違いについてて、熱く語る。

厚切りジェイソン氏

Profile

厚切りジェイソン(ジェイソン・デイヴィッド・ダニエルソン)氏

1986年アメリカ・ミシガン州生まれ。ミシガン州立大学、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校大学院でコンピュータ・サイエンスを専攻。2005年に初来日し、旭化成の研究所に研究生として勤務。その後、米企業日本法人の設立担当者として再来日。日本のお笑い番組に関心をもち、2013年ワタナベコメディスクールの土日コースに入学。卒業後の2014年9月に「厚切りジェイソン」としてデビュー。2015~2016年の「R-1グランプリ」で決勝進出。現在はクラウドサービスのテラスカイでグローバルアライアンス部長を務めるほか、同社米国法人および子会社テラスカイ・ベンチャーズの役員を務める。

学校を飛び級しながら触れたインターネットとビジネスの勃興

僕はアメリカのミシガン州で生まれました。僕を紹介する記事には「17歳の時に『飛び級』でミシガン州立大に入学した」とよく書かれますが、アメリカでは特別なことじゃないんです。高校に通いながら大学の単位を取れる制度があって、それを利用して1年間大学の単位を取ったんです。

これはアメリカのどこにでもある標準的な制度なんですよ。そもそも僕はその前にも、中学1年生から高校に飛び級していますから。飛び級がまれな日本では、「相当優秀だったんだね」と言われますが、それほどスペシャルなことじゃない。特に試験もなく、ただ両親が校長先生に「来年は中学3年生ではなく、高校1年生のクラスに行けると思いますけど、どうでしょう」と言ったら、「じゃあやってみようか」って。それだけです。

2003年に高校を卒業して、ミシガン州立大に入りました。専攻はコンピュータ・サイエンスです。僕は小学生の頃から、インターネットは知っていました。アメリカで教育を受けながら、インターネットの進化を、直接自分の目で見ることができたのはラッキーでしたね。その進化のスピードは衝撃的で、インターネット技術やインターネットビジネスの成長は世界を変えるかもしれない、とワクワクしていました。

 

厚切りジェイソン氏

僕の学生時代には、90年代末期に創業したAmazonやGoogleが急成長し、Facebook が創業しました。インターネットビジネスを起こすのは僕と同世代の人たちが多く、僕でもできるんじゃないかと思いました。だって、1984年生まれのマーク・ザッカーバーグは僕と2歳しか違わないんですから。「彼らにできて僕ができない理由は何もない」と、思いましたね。

もしずっとアメリカにいたら、一度はそこで起業していたかもしれません。もちろん、ドットコムバブルの成長と崩壊もずっと見ていて、起業するにせよ就職するにせよ、人のモノマネではない、自分にしかないスキルセットを作る必要性は感じていました。それが日本に来た理由にもなっています。

モノマネじゃない。みんなとは違うスキルで目立ちたい

2005年に初めて来日し、旭化成でインターン生として1年間、アメリカ英語対応の音声認識ソフトの開発に関わります。この仕事は掲示板で見つけたのですが、英語のネイティブスピーカーで、コンピュータサイエンスを勉強している現役大学生、なおかつ日本語をある程度理解する人――というのが条件でした。

前の2つの条件に当てはまる人は無数にいるけど、日本語も話せる人となると少ない。自分だけの特別な組合せ、スキルセットがあったおかげで、新しいフィールドを開拓することができました。

実は大学生の頃、Googleでインターンをしたくて、面接を受けたことがあったんですね。7回くらい面接して、最後の最後まで残っていたんですが、最終面接で落ちちゃいました。同じスキルを持ってる人たちがいると、飛び抜けて優秀な人でないと目立ちにくいんだと、その時痛感したんです。

そこで、さらに何か別のスキルを身につけたいと考え、日本語の勉強を始めたら、すぐ旭化成の研究所に行けたというわけです。あとで話を聞いたら、その募集には3人しか申し込んでいなかったそうです。あまりにも珍しいスキルセットが求められていたからでしょうね。一つの専門だけじゃなくて他のいろいろなスキルを持っていれば、チャンスが広がるというのは、その時に得た教訓です。

 

厚切りジェイソン氏

で、「なんで日本語を選んだの?」とよく聞かれますけど、たまたまなんですよ。外国語を履修する同級生は、多くがフランス語とかスペイン語とかヨーロッパ系の言語を選択するんですね。

僕が外国語を勉強する理由は「同じスキルを持っているライバルを減らすため」だったので、みんなと同じような言語を選んでも、競争人口は減らない。みんなとは違う言語を選ばなければいけない。それが日本語だったというわけです。

ミシガン州立大学には、たまたまアジアの言語を専門にする優秀な教授がいて、日本語も教えてくれた。もしその時に中国語を選んだら、もしかしたら僕は今頃中国でビジネスをやっていたかもしれません。だから必ずしも「日本語を選んだから成功した」ということではないんです。

おそらくどんな言語を選んでも僕は成功していた(笑)。まあ、これはアメリカ人的な自信たっぷりな言い方で、そういう自信を持つことを良しとする文化がアメリカにはあるんです。

「海外のやり方は日本では通じない」という分厚い壁の前で

日本語の勉強のつもりでテレビをよく見ていたんですが、なかでもお笑い番組にはハマりました。それがその後の日本でのお笑いタレントのベースになるんですが、その話はまた後でしましょうね。

旭化成での1年間のインターン後、アメリカに戻って、イリノイ大学の大学院に入ります。GEヘルスケアで働きながら、修士号を取ったんですよ。GEに学費を負担してもらいましたから、専門はヘルスケア・インフォマティクスになりました。

これは、病院同士をコンピュータでつないで、電子カルテや電子レントゲンデータをどういう形式で送り合うか、どのように保管するかという研究です。人の命がかかっている点にはやりがいを感じたし、面白かったけど、仕事のスピードが結構ゆっくりでしたね。

僕がいじってたプログラムは、15年以上前からJavaで開発されているもので、大規模すぎて、レガシーすぎ。全部ごちゃ混ぜになっていたから、1人のエンジニアが全部を変えてしまうというような、大胆なことはできない。その点はもの足りなく思っていました。

ただ、コンピュータシステムの基礎を学ぶのには良い勉強になりました。こういうどでかいシステムはどう開発されてきたのか、どういうパーツで何かをいじればどう壊れるのかとかね。

厚切りジェイソン氏

社会人大学院生を3年間やりながら、コンピュータサイエンスの修士号と、日本語検定一級も取りました。ただ、日本語を使える機会はGEにはあまりなかったので、そこから転職してBigmachinesというクラウド企業に入社します。この会社はその後、オラクルに買収されるんですけど。

Bigmachinesは、製品構成と見積りのクラウドソフトを開発していました。例えば車を作る時に「このエンジンだったら、このホイールが必要になりますよね、それ以外のホイールは組み合わせることはできません」みたいな制約がありますよね。

でも営業担当が見積もる時は、完全に理解していないケースもあるので、間違えてこの部品とこの部品を組み合わせちゃうことがある。そこでBigmachinesは製品構成の制約やルールを全部システム化して、自動的に「このエンジンを選んだら、こういうホイールしか選べないようにする」ということができるようにしました。

会社はこのシステムを日本企業に売るために、日本法人を作ろうとしていました。2011年のことです。で、「僕、日本語できます。コンピュータわかります」と手を挙げたら、日本法人の設立メンバーとして採用されたんです。

最初の顧客は日本に進出している外資系企業で、これはあらかじめリストがあったから、比較的営業は容易でしたけれど、次のフェイズで日系企業を相手にする時には苦労しました。

これは後からも触れる、日米の企業文化やエンジニアリング文化の違いかもしれないんですけど、Bigmachinesのクラウドを使えば、営業が見積書をより正しく早く作ることができるので、生産性が上がるということが、海外ではすぐ理解してもらえるんです。

ところが、日本はそうじゃない。「たとえ営業が見積もりを間違っても、その人がサービス残業で解決しちゃうから、うちは別にそういうシステム、必要ないです」みたいな(笑)。「自動化システムを導入しても、コスト削減にはならない」ともよく言われました。

海外ではこのシステムを使うことで、コスト削減効果が5割とか倍増とかしているお客様はいっぱいいたんです。そのデータを見せたとしても「それは海外のやり方でうちはそれが通じない」と言うんですよね。

あとは「自社用のシステムは一から自分たちで作るから要らない」というお客様も当時は多かった。日本の会社はパッケージを導入したり、それをクラウドで運用するということに、まだ抵抗のある時期でした。

まあ、今でもスクラッチにこだわるお客様は少なくないんです。それって、もったいないと思うんですけどね。アメリカでは社長さんが直接会ってくれて、即決即断でバンバン売れたから、楽勝だと思って日本に来たけど、壁は厚かった。

日本では現場の人しか来ないし、現場の人が自分の仕事が奪われそうな危険性を感じたら、上に話をしてくれないということもよくありました。こんなふうにね、厚切りジェイソンもかつては、日本でのビジネスでは結構苦労していたんですよ(笑)。

#02 厚切りジェイソンが考える、イノベーションを生み出すアメリカと日本の風土の違い