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未踏スーパークリエータへのチャレンジ、北野宏明氏との出会いで夢が広がった──シナモンAI平野未来さんが起業を決意した理由とは?

学生時代にIPA未踏ソフトウェア創造事業に2度採択され、テクノロジー企業を創業。現在はビジネス向けのAIサービスのコンサルティングやプロダクト開発を進めるシナモンAI 代表取締役社長CEOの平野未来さん。テクノロジーの最前線を走ってきたように見えるが、実はいくつもの苦難も経験している。人工知能(AI)で、これからの社会の何を変えたいのか。そして、どんな未来を創りたいのか。その熱い想いを語ってもらった。

シナモンAI
平野未来さん

Profile

株式会社シナモン 代表取締役社長CEO 平野未来さん

シリアル・アントレプレナー。東京大学大学院修了。レコメンデーションエンジン、複雑ネットワーク、クラスタリング等の研究に従事。2005年、2006年にはIPA未踏ソフトウェア創造事業に2度採択された。在学中にネイキッドテクノロジーを創業。IOS/ANDROID/ガラケーでアプリを開発できるミドルウェアを開発・運営。2011年に同社をミクシィに売却。ST.GALLEN SYMPOSIUM LEADERS OF TOMORROW、FORBES JAPAN「起業家ランキング2020」BEST10、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019 イノベーティブ起業家賞、VEUVE CLICQUOT BUSINESS WOMAN AWARD 2019 NEW GENERATION AWARDなど、国内外の様々な賞を受賞。また、AWS SUMMIT 2019 基調講演、ミルケン・インスティテュートジャパン・シンポジウム、第45回日本・ASEAN経営者会議、ブルームバーグTHE YEAR AHEAD サミット2019などへ登壇。2020年より内閣官房IT戦略室本部員および内閣府税制調査会特別委員に就任。プライベートでは2児の母。

インターネットに出会い、チャットにはまった中学生時代

いわゆるデジタルネイティブより少し前の世代なので、生まれたときからネットとコンピュータがあったというわけではありません。私がコンピュータやインターネットに初めて触れたのは中学生のとき。それでも他のクラスの子に比べると早いほうでしたね。

中学生って、まだ自分の世界が狭いじゃないですか。朝起きて、学校に通って、たまに塾に行って、それで一日が終了みたいな。私も、同じクラスの50人と家族だけという世界で暮らしていました。

ところが、インターネットを始めたら、圧倒的にいろんな人と知り合えました。当時はパソコンからアクセスする「匿名チャット」が流行っていて、ずっと年上の人たち、しかも東京だけじゃなくて、いろんな地方の人とチャットで話すようになりました。普段の私の生活では絶対に出会えない世界にリーチできる——それが初めてのインターネット体験でしたね。

子どもの頃はあまり友人ができないタイプで、いわゆる“浮いている系”でした。ネットの世界に活路を見出すというか、ネットのほうが友人が多かったかもしれない。自分が受け容れられる世界がそこにあったんです。チャットで何か特別な話をしていたわけではなかったけど、普段できないことをしていることが、楽しくてたまらなかった。

シナモンAI平野未来さん

私はその後、ニュージーランドに短期ホームステイしたのですが、海外の人とエアメールでやりとりをしていると、手紙を書いて戻ってくるだけで何週間もかかります。ところが、メールだとそれが一瞬。翌日には返事が返ってくる。それはとても便利だったし、驚きでした。

中学生の頃から、デジタル写真の編集などにパソコンを使っていました。当時は、使い捨てのカメラで写真を撮って、それを焼き増ししてペンでお絵描きをするのが中学生女子の楽しみ方。でも、デジタルでやるともっと面白いことができます。90年代のテクノロジーは部屋に籠もりがちだった私の世界を確実に広げてくれました。

その世界を他の人たちにも伝えたくて、高校2年生の頃は、私的なメルマガを発行していました。当時、メールアドレスを持っていた子はクラスで2~3人。でも、ネット上で知り合った人が大勢いて、そのリストは100人規模。でもメーリングリストじゃなくて、「BCC」で送っていました(笑)。

メルマガの内容は自分の日記みたいなもの。それでもたまに内容に共感してくれる人がいて、嬉しかったですね。何かを世の中に発信したいという欲求は、たぶんその頃からあったんだと思います。今でも新しい技術やプロダクト、それこそ世界を変えるかもしれないようなパラダイムに接すると、他の人にアウトプットしたくなります。

最近はコロナ自粛生活で家にいることが多いので、お料理用に新しい調理器具を買ったんですよ。それがとてもいいので、会社のメンバーに宣伝したりしています(笑)。

サービスは消費する側から、創造する側へ移った方が面白い

高校2年生までは文系を選択していましたが、高3になって理系に転じました。私の高校で勉強頑張る人は理系、そうじゃない人は文系みたいな雰囲気があって、私は頑張りたくないので文系を選んでました。意識が低かったのかな(笑)。

実は将来パイロットになりたかったんです。家族で海外旅行をする機会があって、それが楽しかったから。そもそも子どもの頃からお人形遊びには全く興味がなくて、むしろ自動車のメカニズムとかを図鑑で読んで興奮する、そんな子でした。フライトアテンダントという選択もあったけど、女性的な職業にはあまり興味をそそられなかったんです。

ただ、パイロットになるには一定の身長が求められることを知り、諦めました。それで勉強に身が入らなかったのかもしれません。しかし、高校3年生になると、周りが勉強をし始めて、これはやばいかなと。

自分の人生は自分で切り拓いていかなくてはと思うようになり、俄然勉強に熱心になって、勢いで理系コースに転じました。パイロットになる夢は諦めたけど、理系の大学に入って、飛行機やロケットを作る仕事に携わりたいと考えるようになりました。

シナモンAI平野未来さん

初めてプログラミングに触れたのは、大学での授業。演習の課題の一つとして、簡単なチャットサービスを作ったことがあります。中学生時代にハマった匿名チャットを思い出して、「裏ではこういう仕組みで動いていたのか」と腑に落ちましたね。

プログラミングができれば、サービスの消費者から、サービスを提供する側になれるんだと気づいて、それからはプログラミングに夢中になりました。

学部時代に作っていたのは「一言SNS」というサービスです。当時は学生の間にmixiが流行していて、自分の日記を公開する人が多かった。でも、何ページもの日記を読むなんて大変ですよね。

私はこれからモバイルネットワーク時代になると思っていたので、モバイルで一日に何度も気軽に発信・受信できる短いメッセージのほうがフィットすると考えたんです。実際にTwitterを最初に使ったときは、私と発想が似ているなって、思いました。

北野宏明氏との出会い。「こんな社会人がいてもいいんだ」

ちょうどその頃、IPAの未踏ソフトウェア創造事業に採択された人たちの話を聞く機会がありました。中でも感銘を受けたのが、スマートニュースを創業した鈴木健さんの話です。

「現代の社会のあり方は不完全で不公平だ。このままでは格差は広がるばかり。“伝播投資貨幣”というのが普及すれば、世界はもっと良くなる」といった話をしていたと思います。 伝播投資貨幣というのはよくわからなかったのですが、自分もテクノロジーを使って何かを作るのなら、世界を変えるものを作りたい——そう、真剣に考えるようになりました。

大学4年生の時に、「ソーシャルネットワークマーケティングエンジンの開発」というテーマで未踏ソフトウェア創造事業に応募しました。当時、慶應大学の修士課程にいた堀田創(現・シナモンAI CAIO)さんと一緒に、SNSのリンク構造上で情報を伝播させ、情報配信の最適化を行うSNME(提案アルゴリズム)という技術を提唱しました。

これはSNSに限らず、ユーザ間のリンク構造さえあれば、マーケティングエンジンやレコメンデーションシステムとして、従来のものとは全く異なる効果を発揮させることができるものです。

シナモンAI平野未来さん

未踏にはその後の東大の院生時代も含めて2度採択されていますが、いずれもプロジェクトマネージャーはソニーの北野宏明先生(株式会社ソニーコンピュータサイエンス 代表取締役社長)でした。当時、私が感じていた社会人のイメージは、仕事を楽しんでいるというより、疲れ果てている感じがしていたんです。

ところが、北野先生に出会って、全く違う人もいることを知りました。少年のような輝きを失わず、自分の夢を勢い込んで情熱的に話す。「こういう社会人もありなんだ、普通に会社に就職するよりは、自分もこういう道に行きたいな」と、そのとき思ったんですね。未踏事業にチャレンジしたことは、いろいろな意味でその後の私のキャリアの核になっています。