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株式会社ライゾマティクス創業──デジタル技術と表現の渦の中でもがいた真鍋大度の13年

テクノポップユニット「Perfume」のステージ演出のテクニカルサポートや、リオ2016大会閉会式東京2020フラッグハンドオーバーセレモニーのデジタル映像表現などで、世界的に知られるアーティストの真鍋大度氏。
デジタル技術と音楽やメディアアートを高度に融合させるフルスタック集団ライゾマティクスを率いて、新しい時代のクリエーションの先端を走り続ける。
エンジニア的にものづくりにこだわる側面と、アーティストとして表現の限界を突き破る側面の両方に迫った。

真鍋大度氏

Profile

Rhizomatiks Research(ライゾマティクスリサーチ)主宰 アーティスト 真鍋 大度氏

1976年生まれ。東京理科大学理学部数学科を卒業後、大手電機メーカー、Web制作ベンチャー企業を経て、IAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)に進学。2006年、株式会社Rhizomatiks設立。2008年に石橋素とハッカーズスペース「4nchor5 La6」(アンカーズラボ)設立。NHK杯国際フィギュア大会、紅白歌合戦、2020年東京五輪招致、Apple Mac誕生30周年CM出演、Perfumeの映像作品などで知られる。カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル銀賞、グッドデザイン賞、文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門大賞など受賞歴は多数。2016年のリオ2016大会閉会式東京2020フラッグハンドオーバーセレモニーでの技術演出は世界から絶賛された。

新しい技術に飛びついては、実験を繰り返したIAMASの日々

IAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)には2002年に入学しました。僕は昔からDJをやっていましたから、コンピュータのテクノロジーが発達するにつれて「DJの世界にコンピュータを持ち込んだらどうなるだろう」、というアイデアが以前から浮かんでいました。

例えば、アナログレコードに特殊な信号を入れて、レコード針が今どこにあるのかや、再生スピードと再生方向を解析して音響を処理する仕組みですね。IAMASに入学する前に卒業生の一人に「アナログレコードを使ったデジタルDJシステムを開発するのはどうか」と相談をしたら「やりたいことあるのっていいんじゃない」と励まされ、IAMAS1年目はそのソフトウェアを作っていました。

簡単に言えば、パソコン上でDJができるソフトウェア。それは完成したんですがその頃、僕以外にも似たようなことを始める人が出てきて2004年にはそうした仕組みについての認知も広がってきました。

ただ僕はパテント(特許)をとっていなかったので、実益には結びつかなかった。あくまでも自分の作品のためだけにそれを作っていたのが今思えば大失敗ですね。当時のIAMASでは作品以外の展開というのはあまり考えられていなかったのか、パテントについての授業もありませんでした。

真鍋大度氏


僕がIAMASにいた2001年時にMaxというビジュアルプログラミング言語上で使用できるJitterという行列演算のライブラリが登場しました。僕はそのアルファテストに参加しつつ日本語マニュアルを作っていました。大学時代は数学科だったので線形代数はもちろん理解していましたし、VRMLという今のWebGLの原型みたいなものを使っていたこともあり3Dで描画する仕組みについては親しみがあったんです。

IAMASでも、改めて3DCGのプログラムを書いたりしましたが、その頃から画像解析のプログラムをやる様になりました。同級生に詳しい人がいたのはラッキーだったなと思います。

IAMASを卒業したらどうするかは考えず作品制作、発表に打ち込めて最高でしたね。

家や自分の身体をスピーカーにして表現したら何が起こるか

IAMASの学生にはメディアアートを目指す若い人もいれば社会人経験のある人などいろんな人がいて、彼らとの交流で得た刺激は大きなものでした。それまでは「自由にものを作る」という意味が分かっていませんでした。

やはり広告の仕事が多かったですからね。映像、音楽、などフォーマットも決まっていましたし。

IAMASでは音楽を作るとなったら、音を出す装置やシーケンサー、楽器を作るというところからスタートしなくてはならない様な雰囲気がありました。

それで僕は木造の建物に巨大な振動子を取り付けて、家をまるごとスピーカーのようにして揺らすライブをやったりしていました。

真鍋大度氏

あまりに振動するので近隣の人に警察を呼ばれてそれで終わる感じのライブでしたけど(笑)。あと、卒業制作では大量の振動子を組み込んだ椅子を作り、体験者の体をスピーカーにするという様な作品を作りました。

音や振動というものを本質的に考えるよいきっかけになりました。とにかくIAMASでは、単に具体的でテクニカルな課題をこなすというよりは本質的な新しさを見つけるための抽象的な課題が与えられていました。

例えば「ピアトゥピアのネットワークの仕組みを使って音楽を作りなさい」とか「2つのAIを作ってAI同士を会話させたらどうなるか」といった今のトレンドになっている技術を先取りしたような課題が出されるんです。アイディアを出すだけでなく実装までが課題です。今考えてみても課題の選定がとても良くて、僕はそこで鍛えられたなと思いますね。

テクノロジーやメディアに依存しながら、独自の表現を目指して

こうして自由に実験を重ねていた僕も卒業時期を迎えます。「卒業したらどうやって生活していたったらいいですか」と先生に相談すると
「卒業生の石橋素くんに聞くといいよ」と言われました。

石橋さんはIAMASの先輩で、僕が入った頃はもう卒業していて接点がなかったのですが、僕が卒業制作を作っていた頃に芸大からサーバー管理の仕事のオファーが来ました。それが石橋さんがやっていた仕事の引き継ぎだったんです。それから石橋さんと話すようになりました。

その頃から石橋さんはアーティスト、プログラマ、エンジニアなど多くの顔を持つクリエイターとしてたくさんの仕事をされていました。そこから僕もクリエイターとして仕事を始めるようになるんです。

IAMASを卒業すると同時に、石橋さんに声をかけてもらって企業ショールームやハイブランドのパーティーの仕事などにいきなり携われて僕はすごくラッキーだったと思います。OpenCVなどのライブラリは使ったことが無かったのですが、石橋さんが使っていたこともありこの頃から本格的に使う様になりました。

ちなみに石橋さんとは、ライゾマティクス創業後の2008年には研究・制作スペース「4nchor5 la6(アンカーズラボ)」を共同主宰し、2010年からはライゾマティクスにジョインしてもらっています。

株式会社ライゾマティクス自体の創業は2006年ですが、それ以前から僕も齋藤もフリーランスで活動していて、一緒に仕事をすることがありました。あるときに大きな仕事をとるチャンスがあって、会社にした方がいろいろな面で有利ということで、別の会社に勤めていた千葉とも一緒に3人で会社を設立しました。

真鍋大度氏

会社を起こしてから13年経ちますが、僕らの仕事はやはりその時代のテクノロジーやメディアに依存しているところがあります。最初はWebをメディアとするFlashの仕事がほとんどでした。

それからYouTubeが出てくるとYouTubeの仕事が増え、さらにSNSの登場でそれと組み合わせる仕事が増えました。ただ、僕らはネットメディアや映像メディアだけでなく実空間のいわゆる体験型のインスタレーションを創業当時からやっていたので、それが今でも強みにもなっていると思います。

広告の仕事ではガムやパソコン、ファッションのCMもやりましたけど、データを実空間に展開して広告を組み合わせることができることが僕らの特徴かもしれません。その中でもおそらく一番大きいのがアイルトン・セナのSound of Hondaというプロジェクトで鈴鹿サーキットにLED照明やスピーカーを置いて、セナの走行軌跡を音と光で再現しました。

僕はデータを光に変換する企画とその企画にまつわる実装全般、本番のオペを一通りやりました。これは菅野くんという広告クリエイターがディレクションしたプロジェクトなのですが、彼の様にメディアアーティストの特性や得意なことを理解してくれる人が広告の世界に登場したことが、シーンの発展には不可欠だったと思います。