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MITメディアラボで“変な人たち”に囲まれながら、スプツニ子!が学んだこととは?──

世界に影響を与える若手アーティストの一人として、世界経済フォーラムやTEDなどにも登壇したスプツニ子!さん。テクノロジーとの出会いは中学生の時のiMacでした。アーティストとしての道は、幼少時から感じていた、周囲に馴染めない “異分子”としての葛藤が背景にあったと言います。あらゆる領域でテクノロジーとの結びつきが不可欠の時代に、アーティストは何を問い、新しい世界を切り拓くために、エンジニアに何を期待するのでしょうか。

スプツニ子!さん

Profile

東京藝術大学美術学部デザイン科准教授 スプツニ子!(尾崎マリサ)さん

1985年生まれ。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでスペキュラティブデザインを専攻。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教を経て、2019年4月現在、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。「生理マシーン、タカシの場合。」「東京減点女子医大」といったジェンダーや生命倫理、社会的差別などをテーマとした作品で知られる。TEDが選ぶ20人の「TED Fellows」に選出され、2019年4月バンクーバーで開催されたTED2019に登壇。著書『はみだす力』。共著『ネットで進化する人類』(伊藤穣一監修)など。

テクノロジーがもたらすものは、ユートピアなのか、ディストピアなのか

2013年から2017年まで、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教として、デザイン・フィクション・グループのディレクターをしていました。メディアラボ創設者のニコラス・ネグロポンテ氏に応募するよう誘われて、当時まだ27歳だったので学生としての話かと思いきや、研究室を主宰するということだったので、びっくりしたのを覚えています。

私の研究室でやっていた活動は、テクノロジーがもたらす様々な未来像、それはユートピアでもディストピアでも、を描いて提示することで人々の想像と議論を促すというデザインです。テクノロジーの進歩がもたらす未来は自分にとって望ましいのか、そうでないのか、それを観た人にそれぞれ考えてもらいます。

これは研究室の学生だった長谷川愛の「(Im)possible Baby」という作品の例なのですが、iPS万能細胞を使えば、女性から精子を作れるようになるかもしれない。技術的には決して不可能なことではありません。そうしたら女性同士で子どもを作れるかもしれない。そういった未来が訪れた時、社会や価値観はどう変わるだろう?といった問いを、作品を通して投げかけたりしていました。

スプツニ子!さん

他にも、遺伝子工学を研究する主人公が自ら開発した遺伝子組み換え蚕によって「運命の赤い糸」を作りだすという物語の映像作品を作ったりしました。

その作品では、農研機構の研究者と協力して、実際に蚕のゲノムにサンゴの遺伝子と恋愛ホルモンの「オキシトシン」をつくりだす遺伝子を組み込むことで、赤の蛍光タンパク質とオキシトシンが入った「運命の赤い糸」を吐く蚕をつくったんです。

この作品では、神話にしかいないような生物を遺伝子組換えで生み出すことで、科学と神の関係性について考察しようとしました。この作品は瀬戸内国際芸術祭のプロジェクトとして、豊島でのインスタレーションに結実しました。

そもそもMITメディアラボで、私は「Other」として採用されたような気がします。”Professor of Other”、『その他』枠です(笑)。

ネグロポンテという人が面白いのは、私を採用する時、「スプツニ子!のやっていることはわからない。ぜひ採用しよう!」って言ったらしいんです(笑)。

「分からない」にもいろいろな「分からない」があって、本当にとんちんかんで「分からない」ものと、何か未知の領域を示してくれるような「わからない」、その二つがある気がします。

私自身もいろいろな人と話して色々な研究を見て、この人一瞬何言ってるかわからないけど、よくよく考えると新しい発見があるという人の方が話してて面白かったりします。「分かりすぎない人」に惹かれますね。

まあ、ともかくOtherとして呼んでいただいて、おかげさまで28歳から32歳の多感な時期を、あの素晴らしく変な人たちに囲まれて過ごすことができました。

日本の組織はホモジーニアス

MITにいる学生や研究者たちは、本当に視野が広くて賢い人たちばかりでした。アメリカだけでなく、世界中からそういう人たちが集まる。それぞれ多様なバックグラウンドから来てるから、刺激もあれば摩擦もある。どんなトピックもいろんな視点で話すことができるから、話がすこぶる面白かったんです。

それにそうした議論を進める時に既存のルールに囚われることが全然ない。すごく刺激になったし、楽しかったし、だから4年もいたんですけど。

私はMITに28歳で行って、その前はロンドンに長くいたので、そうした雰囲気が世界の先進国の都市では当たり前だと思っていました。でも、東京に移ってきて、なるほどあれはボストンやロンドンならではの環境だったのかなと思うことがありました。

スプツニ子!さん

例えば日本の組織は誰かを採用する時に、自分たちと経歴や研究が似た人を採用したがる傾向があるように思います。スタンスがすごくホモジーニアス(同質的)というか。

私はMITメディアラボ 時代に採用会議にも少し関わりましたが、彼らは今いる研究者と方向性が似ている人を採用しないように、なるべく多様な研究室を作るようにしていました。多様な視点があるからこそ、様々な課題発見ができると。

課題発見ができると、新しい技術革新が生まれる――というのがアメリカのスタイル。日本は同じ方向を向く人を入れて、既にある課題を効率よく解決しようというスタイル。その違いだと思います。逆にいうと、日本スタイルは、課題発見にはあまり向いていないような気がしています。

テクノロジーが社会にもたらす明暗の影響を考える

2019年4月から、東京芸術大学でも教えています。芸大生もまた全く別のタイプで面白いです!

芸大生にはよく、自分の頭で考えてデザインできるようになった方がいい、自分の作品について自分で語り、人と議論できるようになろう、誰かが考えたものをそのまま外注の受け皿としてデザインするだけではもったいないよ、ということを話します。

スプツニ子!さん

これは仕事としてのデザインだけでなくて、大きな問題にからむことだと思ってます。例えば、ヒットラーは、1934年のナチス党大会や1936年のベルリン・オリンピックの時に、レニ・リーフェンシュタールという優秀な女性映画監督に記録映画を作らせました。

ものすごくかっこいい映画ですが、ナチスの宣伝、プロパガンダには違いありません。他にもナチスに協力した建築家や写真家、アーティストはたくさんいます。

現代の私たちも、うっかりそういった仕事をしたくありません。だから自分の頭で考え、自分はいま何を作ってるのか、自分の表現力を何のために使うべきかを考えてほしい、と学生たちには伝えています。

これは技術者についても言えることです。エンジニアから言わせると「テクノロジーには罪はない。それを誰かが悪用するから問題なんだ」という意見もあるとは思います。

でもそれは無責任だと思う。やはりエンジニアたちの倫理観というか、テクノロジーが社会にもたらす影響力というものを、明も暗も含めて考える、その意識を高めないといけない時期に差しかかっていると思います。

エンジニア個人がそれをコントロールするのは難しくても、テクノロジー企業全体がそうした課題に取り組むとか、テクノロジーのコミュニティがそうした意識を持つとか、そういう動きはもっと出てきていいと思います。